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東京家庭裁判所 昭和55年(家)6143号 審判 1981年4月28日

申立人 古川充一

相手方 古川文子

主文

一  申立人と相手方とは相手方肩書住居において同居する。

二  同居後一箇月を経て支払義務を生じた光熱費・水道料は申立人が負担する。

理由

一  本件申立の要旨

申立人と相手方とは昭和五四年一月二〇日、夫婦間の円満を欠き、一時的に紛争を回避すべく申立人が自宅を出て、申立人の実姉夫婦、林方に赴き、以来同家で世話になつている。

相手方は同月一一日に当裁判所に離婚を求める調停を申立てており(東京家庭裁判所昭和五四年(家イ)第一一三号)、調停期日が重ねられてきたが、離婚は合意に至らず昭和五五年八月一九日に婚姻費用の分担(夫が妻に対し月額金一六万円を支払う旨)の合意が成立したのみで、別居状態が続いてきた。しかし、申立人もいつまでも姉の所で世話になつているわけにもいかないので、自宅に帰りたい。

二  婚姻生活に関する事実

<1>  昭和五四年(家イ)第一一三号夫婦関係調整調停事件(申立人古川文子)

<2>  昭和五五年(家イ)第三五二五号夫婦同居申立調停事件(申立人古川充一)

上記調停事件及び本件(上記<2>の調停が不成立となり審判に移行したもの)につきなされた調停・審判の経過、調査の結果、カウンセリングの経過及び双方当事者提出の陳述書・上申書と題する各書面により、認定ないし推認される事実は次のとおりである。

1  婚姻史

申立人(以下単に夫と称す)は大正一四年山梨県に生まれ、県立中学校を卒業後、海軍兵学校に入学したが終戦となり、○○大学に進学し、同大学を卒業して昭和二五年に上級公務員試験に合格して○○省に入つた。

昭和三一年に相手方(以下単に妻と称す)と見合により婚姻し、長女幸子(昭和三二年二月二八日生)、長男理(昭和三六年六月一五日生)、二女夏子(昭和四三年五月二二日生)をもうけた。

婚姻当初から、夫は妻に家計一切を委せ、妻は家事育児に専念しよく家計をやりくりし、その協力により昭和三八年頃、日野市に宅地約八〇坪を購入し、昭和四四年には同宅地上に約三〇坪の居宅を建築したが、いずれも夫名義である。

夫は○○省の役人であつたことから、妻子を伴い山形、名古屋、東京と転勤し、昭和四八年長野県を最後に○○省を退官した後、○○○○振興会に監事として就任し、今日に至つている。

2  夫婦間の紛争の原因

妻は、婚姻後まもなく、夫の兄が精神分裂病であつたことを知り、夫との婚姻を失敗したと感じたが長女が生まれてしまい、そのまま婚姻生活を続け、長男、二女の三子をもうけたのであるが、妻には義兄の病気のことが念頭を去らず、夫をはじめ夫の親族から欺されて結婚したという感情が、深層にわだかまりとして残つていた。しかし、昭和五三年春までは、特段このことを問題とした紛争もなく、同年八月ころまでは夫が生活費として、給料から夫の小遣を除いて給与証明と共に全部妻に渡し、妻も家計簿をつけるなど、よく家計をまかなつていたもので、婚姻当初は生活も楽ではなかつたものの次第に夫の給料も増え、前記のとおり宅地建物を得た外、かなり預貯金もできた。前記宅地建物の資金は最終的に夫の退職金(○○省)で完済しており、妻は共稼ぎなどすることもなく、長女には○○○○大学を卒業させ、長男を昭和五五年四月○○大学へ進学させるなど、一見して水準以上の家庭生活が営まれてきたものである。

ところが、昭和五三年春ごろ、長女が適令期にさしかかつたことから、夫の兄の精神病のことが再び気になり出した妻は遺伝センターに相談にゆくなどして以来、夫に家系のことをせん索したり、兄の病気を隠して結婚したことなど、既に二〇年余も昔のことをむし返して非難し始め、分裂病に対して冷静な受けとめ方をさせようとする夫の態度に、妻はかえつて増々不信感をつのらせ、日常生活の中で、葛藤を生じ、妻と子らが夫を拒否する態度に出るようになり、急速に家族関係が悪化してきたものである。

そこで昭和五四年一月一一日妻から前記<1>の離婚調停が申立てられたのであつた。

3  当裁判所における調停の経過

上記離婚調停の初回期日は昭和五四年二月二一日に開かれたが、ここでも妻は、夫の兄の病気を隠して結婚したことを批難し、夫がこの事実を詫びなかつたこと、妻のみ生活を切りつめてきたこと、遺伝センターに相談して以来の夫婦間の葛藤について著しく感情的な発言を重ね、離婚を主張するのみで、調停困難となつたため、調停委員会は当事者双方に冷静に事態を処理できるよう感情の整理を目的としたカウンセリングを奨め、同年六月二九日カウンセリングに付した。しかし妻は離婚志向が強固でカウンセリングに乗らず、途中で打切りを要求したため、カウンセリングは未完成で終つたのであるが、夫の方はその間充分内省ができ、双方がお互いに悪い点を反省し合つて家庭生活を維持したいとの意向に傾いてきた。そこで調停を再開したが、妻は依然として離婚を主張し、条件として夫の所有にかかる宅地建物及び妻が保管中の定額郵便貯金(別居当時の額について、調停の初回の席上において、夫は約二〇〇〇万円であるといい妻は一六〇〇万円であると言うが、妻の陳述は次に「一四〇〇万円位」となり「そんなには無い」と次第に変つてきている)を妻及び子供名義にし、夏子の養育料を支払うよう要求し、夫は離婚する意思がなく合意が成立する見込みがないので、調停委員会は差当つて婚姻費用を定めることに調停の重点を置き調停を重ね、妻が預金を握つているので支払う必要はないという夫を説得した結果、昭和五五年八月一九日夫が婚姻費用として月額一六万円を妻に支払う旨の合意が成立した。その間長男の大学進学があり、夫は一〇〇万円を任意に長男に渡している。

4  夫が自宅を出るに至つた事情

妻から上記<1>の離婚調停が申立てられたのは未だ夫婦同居中であり、その一〇日程後の昭和五五年一月二〇日、夫の給料日であつたことから、妻がこれを直ちに出すよう求めたところ夫が給料を出さないまま寝室に入つてしまつたことに端を発し、妻が長男を呼び、長男と夫との間で争いとなり、互いに実力行使がなされ、妻から「土地・家屋の権利証と実印を渡してくれたら母子四人で家を出ます。それがいやならそちらが家を出てほしい」と言われ、遂に夫は当夜明けごろ家を出、近くに住む実姉夫婦のもとに赴き、以来別居するに至つたのであるが、このように生活費の支給について異常なまでの葛藤を生ずるには次のような紛争が先行していたものである。

即ち、上記認定の如く、昭和五三年の春ごろより急速に夫婦関係が悪化してきた同年八月ころ、夫が妻に対し、同人が保管している貯金証書類を出すように申し向けたところ、妻がこれに応じないばかりか、机の引出しに入れてあつた預金に使用した印鑑も見えなくなつていたのを知るに及び、それまで給料袋ごと妻に渡していた夫は、そのころから給料を出し渋るようになつていた。そこで母子が結束して夫から給料を出させようとする確執が始まつたものと推量される。

三  当裁判所の判断

本件夫婦関係の紛争の基因は、夫の兄(精神科の入院歴、離婚歴があるが現在の妻との間に子もあり、家族同居して山梨県において葡萄園を経営している。)の精神分裂病を結婚適令期を迎える子女のためにどのように受けとめるかという問題に対する夫婦の対処の仕方の相異にあり、夫婦関係調整の鍵も、この受けとめ方にあると思料するところ、妻はひたすらに離婚をもつて解決しようと意図するのであるが、婚姻後既に二五年を経、三児をもうけた夫婦でもあり、仮りに分裂病の遺伝要因が重大であるとしても、決して離婚して解決し得るものでなく、これらの負因を敢えて大きく取り上げることは、却つて子女らの将来にかげ(翳)を残すであろうと考えられ、妻にこの点再考を求めたいところである。

妻からの離婚調停は未だ夫婦同居中に申立てられたもので、その後別居し、以来二年余になるが、この間夫は婚姻費用を支払い、妻はかなりの預貯金を握つて、広い居宅に娘二人と暮している現状は離婚を回避しようとしている夫にとつて耐え難いものであることは推量に難くない。前認定のとおり、夫が一時お互いの熱い紛争を回避すべく任意に別居した本ケースにあつては、夫が時機をみて任意に帰宅すればよいのであつて、本件申立ては妻に何らの作為を求めるものではなく、少くとも妻に夫の帰宅を妨害しないよう求めるものであり、当裁判所は妻が夫の帰宅を拒否する理由はないものと思料する。

しかし、既に離婚の訴訟を提起している妻に対し、通常の妻としての協力を期待することは困難であろうと思われるが、今尚、離婚を回避しようとする夫の忍耐と努力をもつて夫婦関係の回復を期待することとし、なお前記婚姻費用には夫の生活費までも含むものではないから、夫が帰宅後使用するであろう光熱費・水道料について再び紛争を起さぬよう、これを夫に負担させるのを相当と思料する。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 矢部紀子)

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